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私の名前はタチアナ・アンドルシェンコ(Tetiana Andrushchenko)です。ウクライナのごく普通の生活が、このわずか一カ月の間に、夢にも想像できないほど如何に劇的に変化してしまったかについて共有させて頂きます。

私と姉は、チェルノブイリ原発で長年働き、放射能の影響もあって死期を早めた父を失いましたが、1年前の2021年3月、Covidのせいで、今度は母も亡くしました。ある事情があって昨年かアメリカに滞在していた私は、つい一か月前2月初めにも、まだアメリカに滞在していました。

突然ロシアがウクライナに侵攻する可能性があるというニュースが流れ始め、私がウクライナ人だと知ると、「もしロシアがウクライナを本当に攻撃してきたらどうするの。彼らは本気でそうする気よ」と出会う人々が口々に言い始めました。12歳の娘をキエフの友人宅に残してきた私は、いてもたってもいられない不安な気持ちになり始めました。

それで出来るだけ早く戻れるようにチケットを変更しようとしましたが、それは不可能でした。最終的に2月14日の朝、私はウクライナのキエフに戻ることができました。本当に幸運でした。なぜなら、キエフに戻った同日の夕方、多くの航空機会社がウクライナを離れ、フライトが次々にキャンセルされるというニュースを知ったからです。

私が、予約していたキエフ発ブリュッセル(ベルギー)着の飛行機もキャンセルされて飛べなくなってしまったため、すぐ娘を連れて避難する別の方法を見つけなければなりませんでした。

残った唯一の可能な方法は ポーランドへのバスでした。キエフからポーランド国境までバスで行き、国境で8時間過ごし、ようやく2月16日にポーランドに入国することができました。そしてそこから、さらにベルギーに向かったのです。

ベルギーに到着してしばらくしてからの2月24日、姉がキエフから電話をかけてきて、「チェルノブイリ側から爆撃が聞こえて怖い」と言いました。私と彼女が住んでいた十六階建ての集合住宅はその方向にあるのです。姉の19歳の娘がパニックになり始め、姉は二人の娘たちを連れて避難所に行きました。

近所の人々もたくさん避難してきました。しかし、その避難所は出口が一つしかないため安全ではありませんでした。建物が倒壊すればすベての人々が閉じ込められてしまう危険性がありました。それでも、家族一緒にいる方がいいので、近所の人々と私の姉の家族は、絶え間なく続くサイレン、銃撃、爆撃の音が鳴り響く中、二週間その避難所に留まりました。

日中は祖母のところへ食料を届けに行き、地域防衛隊に何度も書類をチェックされたそうです。私は毎日、姉と電話で連絡を取り合っていました。返事がないとき、私の心は凍りつきました。今日が何月何日なのか、戦争が始まって何日目なのか、誰も分かりません。多くの避難所は安全ではないので、人々はより安全な場所として、家から徒歩7分の地下鉄のシェルターに避難しました。

私は姉に、「キエフから避難してほしい」と何度も頼みましたが、姉は「ここで留まって祈る人も必要かもしれない」と言ってなかなか受け入れませんでした。しかし、その後更なる身の危険を感じる出来事が続き、避難所での長い滞在の後、住み慣れたキエフを離れ、西ウクライナへ移動する決意をしました。

祖母とペットにも別れを告げなければなりませんでした。
途中、すでにレールが爆撃されている場所もあり、ロシア軍に見つかると危険なため、明かりのない列車に12時間乗っての移動でした。

数日後、姉は下の娘を連れて、リビウからポーランドを経て私のいるベルギーに向かいました。姉の上の娘は、祖母と婚約者の世話をしたいからということで、出発を見合わせ、リビウに留まりました。姉は、「国境を越えるとき、体が引き裂かれるような気がした」と言っていました。

母の一周忌をキエフで一緒に行う予定でしたが、その日、母の孫娘がウクライナの戦地に滞在し、その娘と子供が40時間かけてバスに乗り、着の身着のままでベルギーに向かい、もう一人の娘とその娘がベルギーで待っており、全員が難民になってしまうなど誰が想像できたでしょう。

避難先のベルギーで、今週は毎日難民登録のため長い列に並びました。難民になった何千人ものあらゆる年齢の子供連れのウクライナ人女性たちと一緒でした。離れ難いのに別れなければならなかった年老いた両親、夫、息子、親戚のために皆心の中でその無事を祈っている気持が伝わってきます。それは耐え難い痛みです。
3月14日、私の家から二キロ離れたビルが爆撃されました。

私たちの苦しみや悲しみが未来の平和な世界へとつながることを信じています。

このウクライナの苦難と悲しみの非常時に、私達や私たちの家族、親戚、友人、そしてウクライナのために真摯に祈って下さり、ご支援して下さる紙屋会長をはじめとした日本のWFCクラブの皆様に心から感謝致し、日本でのプロジェクトの発展を心より願っています。

(翻訳・文責: ドイツ支部木村)

娘のナタリーが描いた絵です
『私たちは平和を願うウクライナ人です』

支援については広島西支社へお問い合わせください